こんにちは。びらとり義経塾の瀬尾です。
今日は、サツマイモと明治維新の関係についてお伝えしたいと思います。
サツマイモは、17世紀に中国から日本にやってきました。
今の沖縄県である琉球から、今の鹿児島である薩摩(さつま)に伝わったので、サツマイモとよばれています。
サツマイモはやせた土地でも安定して生産できるのに対し、イネは、日照りや冷夏、虫害などに弱く、
凶作の時は、大規模な飢饉が発生し多くの餓死者を出しました。
特に、1732年(享保17年)に発生した「享保の大飢饉」では死者約1万2000人、飢餓人口200万人以上にも及びました。
しかし、すでにサツマイモが普及していた鹿児島では、享保の大飢饉の時、そして、それ以降も餓死者を出さなかったといいます。
さて、明治維新の実権を握ったのは薩摩藩、長州藩(現在の山口県)、土佐藩(現在の高知県)、肥前藩(現在の佐賀県)の出身者でした。
薩摩→西郷隆盛
長州→木戸孝允
土佐→板垣退助
肥前→大隈重信
です。
これら4つの藩では、サツマイモを常食としており、安定した食料生産によって他地域が飢餓に苦しむ間も人口が増加。社会基盤、経済が整えられていたことが、明治維新の立役者が出現した理由の一つと考えられています。
サツマイモは食物繊維、ビタミンA、ビタミンC、カリウムなどが含まれる栄養満点食材。
寒い冬は焼き芋を食べて、明治時代の幕開けに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
本日のクイズコーナー!
前回の解答:A.モロヘイヤ
今日の問題:サツマイモの栽培を推進していたのは誰でしょう。
A.徳川家康 B.徳川吉宗 C.徳川慶喜
答えは次回のブログで。ではまた✋